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“公認”だった風俗街「赤線地帯」

2016.12.12.Mon.10:43
赤線(あかせん)

日本で1958年3月以前に公認で売春が行われていた地域の俗称。

飛田新地

戦後の混乱期、大衆のガス抜きの目的もあり、娼婦を集める必要性を半ば感じた日本政府はGHQの了承を取り付け、
“公娼”地帯を定めることになった。その俗称が「赤線」だ。
冒頭に書いたように、地図の上で営業許可区域を赤い線で囲ったことが名前の由来になったと言われているが、確証はない。

 厚生省公衆衛生局(当時)の調査によると、昭和30年代初めには、赤線地帯は全国1千カ所以上あり、
店の総数も1万5千軒はあったとされる。何ともすごい数である。そこから得られる税収も、バカにはできなかったはずだ。

飛田新地
西成区山王三丁目の一角、200軒近くの現役「料亭」が現役営業中。
売防法施行半世紀以上過ぎても堂々と商売を続ける様は他では見られず大阪だけに残る古き風俗文化の名残り。

信太山新地
市内から離れているちょんの間地帯。狭い路地に「旅館」が立ち並び客引きのオバサンも妙に若かったりしてドキドキします。

今里新地
飛田、松島に次ぐ大阪五新地の一つだが顔見せなく「料亭」の玄関は閉じられている事が多い。
生野区という場所柄だけにニューカマー韓国人向けの店が多数出店していて異様な雰囲気がある。

松島新地
飛田新地の次に大規模なのがここ。
100軒近い店が営業中。飛田と同じく嬢の顔見せあり。

滝井新地
千林商店街近くにあるマイナーな新地。
営業中の店はわずか8軒。住宅街の中にぽつんとあるロケーションが特殊

かんなみ新地
尼崎に現存するちょんの間地帯。神田南通で「かんなみ」。
粗末な文化住宅風三階建て長屋に寄り添う形で営業している。ヤンキー崩れ風の嬢が多い。

ちょんの間 風俗の実は
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